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2005年03月28日

欧米の医療事情

最近2人の米国で活躍する医師、また独や英仏で学び帰国して活躍する若手医師と個別に会って聞く中で、私なりに今後の予想をしてみた。

我が国の医療は西洋医学として戦前は独から移入し、戦後は米国より移入され今日に至っている。そのために今日医師の研修や留学は米国を中心に行われているが、こと臨床医師として米国で実務につくには語学の問題、米国の医師ライセンス取得の困難さ、定住の難しさなどが障壁となって以前に比べて大変狭き門になっている。

その点、欧州では日本の医師免許があれば、現地で現地の医師が横についていれば臨床行為ができるので今後ごく一部の最先端医療を除き留学、研修先はヨーロッパに替わるのではないかと思われる。又、開業医レベルであれば米国と日本の臨床レベルの差は少なく、むしろ優れている面も多いと聞く。それよりも今後は他流試合をする意味でも欧米のみならず、アジアの医師や研修医にも我国の医療を開放してゆく必要があろう。

投稿者 noguchi : 13:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月24日

根っ子

先日、早朝の通勤途上に東京 代々木の明治神宮の森を散歩した折に樹木の地面に接する根元に様々な形があることに気がつかされた。銀杏の木は根が地表に盛り上がり、椎や楠は地面を押さえ付け、杉は根は見えず幹がそのまま地中に入り込むといった三者三様である。

しかし、根っ子は地表に出ているよりもはるかに地中深くに根ざし、地上の重い枝葉が強風に揺れる大きな負荷を支え、吸収する力強さを想い、大いに見とれてしまった。特に地表にたくましく根っ子のたくましき姿を現しているものよりもむしろ杉のように地表に根が見えない樹木ほどその深さ、強さを感ぜずにはいられない。

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投稿者 noguchi : 11:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月22日

青森を訪ねて

先週、雪深い青森を仕事で訪ねた折、現地の生活の一端に触れしみじみと雪がなく、極寒でない東京にに住んでいることの有り難味を感じた次第である。

 青森には十和田湖、浅虫温泉、世界文化遺産のブナ林で有名な白神山地やねぶた祭りなど常に観光として訪れ、自然が豊富で人情あふれ食べ物も魚介類や山菜、果物などが豊富でおいしく大変羨ましく思っていたのだが、現地での生活となれば、冬の寒さそして今年の例年にない大雪で一日のうち3~4時間連日除雪作業に追われ、また交通機関にもそのために支障を来たし、現地の人達のご苦労には大いに頭が下がった次第である。

大都市に住み、仕事をしている我々は常に能率や効率を追求し、地方の遅れを非難するが、日本のように狭い国土ながら地方それぞれが外国にはない気候や風土、文化による大きな違いを大切にすることから日本という世界に類を見ない豊かな文化国家を育むことが即、日本というかけがえのない世界文化遺産になるのではないか。

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投稿者 noguchi : 16:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月07日

外国人労働者

我国が徳川幕府の鎖国を解いて以来、開国をした結果 戦争の一時期を除いて日本人が海外へ積極的に出て外国文化を採り入れる一方、国際化への道を積極的に推し進め今日の繁栄を築いてきた。
その一方で海外からの移民や外国人労働者の移入には門戸を狭め、いわば人材の鎖国政策は未だに続いている。

想像を越えるスピードで我国の人口の高齢化と少子化時代に突入した今、今後とも更なる モノ・心両面の豊かさを保ってゆくには我国企業の海外進出に伴う国内産業の空洞化を食い止め、質の高い若年労働力を輸出関連産業に生かしてゆくためには国内のサービス産業、卸小売業、運送、清掃、ホテル旅館業、飲食業、看護、介護、福祉などの職場を発展途上国の労働者に積極的に開放してゆくことが急がれる。

特に今年から始まるフィリピンの介護師導入は看護師不足の我国にとって急を要する施策である。医療機関においては今からいかに優れた彼ら看護師を獲得し、安定供給をはかれるか施策を講じておくことが大切である。傾向と対策について4月2日にセミナーを開催する予定である。

投稿者 noguchi : 16:10 | コメント (0) | トラックバック